2008年09月12日
「人間なんて」吉田拓郎
6月から始まったみんなでFOLKING今回をもちましてしばらくお休みさせていただきます、ブログを見ていただき感謝感激です、ありがとうございました。最後はKingofFolk吉田拓郎の「人間なんて」が伝説となった1971年の中津川フォークジャンボリーを書きたいと思います。その頃拓郎はメインステージでは唄わせてもらえず、サブステージでの登場となった、ところがPA機材の故障で予定していた曲ができなくなった、そこで拓郎は考えられない事をする「人間なんて」1曲で一時間もやってしまうのだ(バックは小室等を始めとする六文銭だった)その迫力は凄かった、メインステージが食われていた。これでフォークのカリスマとしての拓郎が歩き出したのかもしれない・・・・。みちのくフォークジャンボリーも大いに盛り上がりたいですね!! いよいよ明後日の日曜日です!スタッフ、出演者の皆さんがんばりましょう!そしてフォーク好きのあなた、ぜひぜひ遊びにきてくださーいヨロシク!!
2008年09月11日
旅立ちコンサート「愛を止めないで」
卒業記念に他の学校と一緒に市民会館の大ホールでコンサートをする事になった。最後なのでバンドでやろう!という事になり僕ら賢則君とまゆみさんそして久喜君とその友達でバンドを組んだ、当日緊張であまりうまくは出来なかったが、精一杯やったと思う、会場の拍手が気持ちよかった。観客の中に秀ちゃんもいた、僕は中学高校の音楽仲間に感謝の気持ちを込め、最後はオフコースの「愛を止めないで」を唄った「愛を止めないで、そこから逃げないで、素直に涙を流せばいいから、ここへおいで、くじけた夢を、全てその手に抱えたままで、僕の人生が二つに分かれてる、その一つがまっすぐに・・・・・」
みちのくフォークジャンボリー9月14日いよいよです!みなさーん待ってます!!
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2008年09月09日
卒業、「お世話になりました・・・」
卒業式が終わるとみんなそれぞれお世話になった先生方に挨拶しに行った、感極まり泣いてる人も多かった。僕も健治先生をはじめお世話になった先生に挨拶に行った、そして最後にどうしても暴力先生と話がしたかった。緊張しながらも挨拶に行くと、とても優しい笑顔で「おう!卒業おめでとう」と言ってくれた、だけど何だか先生のところには一人も挨拶にきてないようだったやっぱり悪役になっちゃうのだろうか、僕は「最後の授業、嬉しかったです、ありがとうございました」と言うと先生は「伊東、社会にでたら色々つらい事もあるだろうが、俺にかかってきたように立ち向かっていけよ!」と言って僕の肩をたたき握手をしてくれた、その言葉を頂いて僕はせきをきったように涙が溢れてきて止まらなかった、先生は先生流の励ましで僕を鍛えてくれたのだった強くなるために・・・・・暴力先生は来年度は違う高校へ行くとの事だった、またいつか会えたらいいなあ僕の恩人です・・・・。
みちのくフォークジャンボリー9月14日ぜひ遊びに来てください、フォーク道場飛び入り参加待ってます!!
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2008年09月08日
暴力先生、ありがとう!!2
そこまで言うなら唄おうと思い「遠い世界に」を唄った、すると先生はゆっくりと拍手をしたそしてポカ~ンとしているみんなに「なんだ、おまえらも拍手しろ」と言うと、みんなハッとして手をたたいた。「また唄ってくれ!」先生が言った、僕は「妹」と「遠くで汽笛を聞きながら」を唄った、そしたら先生は「この学校に来て、お前の唄が一番思い出になったよ」と言ってくれた。僕は何て言ったらいいのかわからなかったが、とにかく「ありがとうございました」と言ってその授業は終わった。その後僕はなぜ先生はこんな事をしてくれたのか、とても気がかりになった・・・・・・・
みちのくフォークジャンボリー9月14日ぜひ遊びに来てくださーい!!!
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2008年09月06日
暴力先生、ありがとう!!
卒業を目前にして最後の格技の授業が忘れられない一日になった。いつものように剣道の稽古が終わると先生の前に整列させられ「今日でこの授業は終わりだ、御苦労さん!」と言うと先生は僕をじっと睨んだ、僕はうわ~怒られると思っていると先生は「伊東、お前ギター弾けたな聴かせろ!」と言った、僕は何だか拍子ぬけしながらも「でもギターを持ってきてないんです、すみません」と断ろうとしたら先生は「あーギター持ってきてるんだ、ちょっと待ってろ」と言ってギターとそして椅子とうたぼんまで持ってきてくれた「さあ、唄ってくれ!」と言い先生は椅子にどっかりと足を広げ座り腕組みをして目を閉じた・・・・・ この話はまた続きます。
みちのくフォークジャンボリー9月14日、伊東満紘のフォーク道場飛び入り参加待ってます!!
みちのくフォークジャンボリー9月14日、伊東満紘のフォーク道場飛び入り参加待ってます!!
2008年09月05日
されど私の人生は
高3の冬、進路指導の先生から呼び出しがかかった。「伊東お前、卒業しての事どう考えてるんだ」そう言われて僕は、はっきり答えられなかった、ただ漠然と就職あるいは進学を決めていいのか?いつも自問自答していた。そんな時の僕の教科書はやはりフォークだった、斉藤哲夫のこのうたが僕の支えだった「もう、どうでもいいのさ、つまらぬ事は考えないで、そこからの道を急ぐのさ、それがもっとも肝心さ、長く暑い一日が終わり振り返る時は、全てが灰色に、心の中は荒れ果て尽きて、先を見る事さえ苦しみ覚える、変わる変わる目の前が、変わってそれでおしまいさ、されど私の人生は、されど私の人生は」
みちのくフォークジャンボリー!フォーク好きのあなた、待ってます!!
みちのくフォークジャンボリー!フォーク好きのあなた、待ってます!!
2008年09月02日
愛と喝采と、岸田智史
その頃僕は「愛と喝采と」というドラマに夢中になっていた、岸田智史が新人歌手の役でプロダクションの社長役が十朱ゆき代作曲家が渡瀬邦彦などのキャストで、新人歌手の岸田が売れるまでの紆余曲折のドラマだった。そして実際にドラマとシンクロして「きみの朝」がザベストテンに入り、その映像がドラマで使われるという画期的な番組だった。僕は岸田智史のうたが好きだった、「蒼い旅」「黄昏」「つづれ織り」などもそうだが僕がもっとも感動したのは「部屋」といううたの弾き語りバージョンだった、なんという色気のある唄い方をするんだろうと僕は思った。ドラマが終わる頃僕らは文化祭で「きみの朝」をやった、無理やりピアノを弾かせた一年の菅原まゆみには悪かったが大ウケだった。岸田智史さん今は岸田敏志さんだけどあの時のうたはよかったなあ・・・・・・・。
みちのくフォークジャンボリー9月14日、皆さんぜひ来てくださーい!!じゃまた。
みちのくフォークジャンボリー9月14日、皆さんぜひ来てくださーい!!じゃまた。
2008年09月01日
迫力!三上寛
高3の夏休み、僕らは市民会館の中ホールでコンサートをやった。知り合いばかり集めてのコンサートでいまいちパッとはしなかったが、何とかやり通した。後かたずけしていると、いきなりオッサンが入ってきて「あー君たち、ちょっと手伝ってくれないかこのホールで次もコンサートがあるんだ、ただで観ていいから!」そのコンサートが三上寛のコンサートだった。寛さんのコンサートは独特だった、彼が唄うと観客が「そうだ!」とか「オー!」とか、まるで合いづちのように入ってくる、そしてなかばに入るとなぜか女の人が一升瓶を持ってきて寛さんに飲ます、その酒でますますエキサイティングなステージになるのだ。放送禁止語のオンパレード、「俺はお00こ歌手だー!」と言い、唄うというより叫んでいるのだ、その絶叫を聴いて僕は心が震えた。ありのままの自分をありったけの声を出して叫ぶ、僕は心の中に溜まったふがいない自分自身をえぐり取られている気がした。
みちのくフォークジャンボリー9月14日もうすぐです!ぜひ遊びに来てください、飛び入りのステージあります!
みちのくフォークジャンボリー9月14日もうすぐです!ぜひ遊びに来てください、飛び入りのステージあります!
2008年08月29日
ギター愛好会
どういういきさつだったかは忘れたが僕らがギターを弾いていると一年の女子達が集まってきた。ギターを弾けるようになりたいというので教えていくうちに愛好会をつくろうという事になった。僕はフォークソング愛好会にしよう!と言ったが先生方が気に入ってくれず結局、ギター愛好会という名前になった。ギターと言ってもフォークだけなので何だかなあと思ったが許可が下りないので仕方なかった。その頃アリスが流行っててよくやったっけ・・・・「チャンピオン」のライラライラライラライライの所でどうしても笑
ってしまって何回もやらされたっけ・・・・・・。
みちのくフォークジャンボリー9月14日もうすぐです!フォーク道場飛び入り参加待ってます!
ってしまって何回もやらされたっけ・・・・・・。
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2008年08月27日
ライクアローリングストーン
その先生は本当に怖かった、うちの高校でつっぱってる奴らが先生にシメラレ歯を折った奴を2人知っている。僕も反抗的な目をしていたのか格技の時間はとにかくしごかれた、だけど不思議な事もあったその先生は出欠はとらなかった、なのでさぼる奴あるいは全く出ない奴もいた、それでも何故だか僕はさぼらず意地になって先生にかかっていった・・・・ボブディランのうたにライクアローリングストーンというのがある「どんな気がするんだ?たった一人で帰り道もないまま石ころみたいに転がっていくのは・・」ディランのうたが心に突き刺さった。
みちのくフォークジャンボリー9月14日、伊東満紘のフォーク道場、飛び入り参加募集中よろしく!
みちのくフォークジャンボリー9月14日、伊東満紘のフォーク道場、飛び入り参加募集中よろしく!
2008年08月26日
暴力教師がやってきた?
高校三年になり、これではいけないというので親戚の家に預けられる事になった。親戚の家といっても気は使うし,肩身の狭い思いをした。そんな時学校の授業で格技の時間というのがあった、柔道か剣道を選ぶのだが僕は少し柔道をやった事があったので剣道をやる事にした、それがこれから大変な事になった・・・・・その先生がもの凄かった、武道で有名な泣く子も黙るあの大学出身で身長は180以上あり体重は100キロはあろうかという巨漢で顔つきもどう見ても学校の先生に見えない、背中に刺青でもありそうに見えた。その初日僕は頭にかぶせる手ぬぐいを忘れたくらいで竹刀で頭をバーンと叩かれる、目の玉が飛び出るかと思うほど痛かった・・・・。
みちのくフォークジャンボリー9月14日チケット一枚500円です!022-266-7712まで!
みちのくフォークジャンボリー9月14日チケット一枚500円です!022-266-7712まで!
2008年08月25日
ふれあい
親父は鳴子の病院に入院しお袋は付き添っていた、なので家では僕一人になってしまった。学校が終わると誰もいない家に帰りたくないので、先生のところへ遊びにいったり友達の家へ泊まりにいったりしていた。そんな事をしていると一人で生きていくのって大変な事だな・・・・と、ひしひし感じていた。その中でも僕の2つ上の先輩の秀ちゃんの家にはよく行った、秀ちゃんの妹さんは重度の身体障害者で、僕の今の状況を本当に親身になって家族でやさしくして頂いた。僕もずうずうしいとは思うのだけど秀ちゃんの家族に甘えていた。秀ちゃんは音楽の話になると熱くなり、曲の作り方など教えてくれた僕はそんな話が大好きだった。「何気ない心のふれあいが幸せを連れて来る、人は皆一人では生きて行けないものだから」尊敬する中村雅敏のふれあいです・・・。
みちのくフォークジャンボリー9月14日!チケット一枚500円です!ぜひどうぞ!
みちのくフォークジャンボリー9月14日!チケット一枚500円です!ぜひどうぞ!
2008年08月23日
大黒柱が崩れた・・・・・
もう冬になろうという頃、親父が倒れて左半身がマヒしてしまった。お袋は泣き、親父も泣いていた、僕は二人が泣いたのはTⅤドラマや映画、桂小金治のご対面コーナーなどで見た事はあるが、ここまで本格的に泣いたのを見たのは初めてだった。親父は遠洋漁業の船頭で3か月ぐらいの漁で帰ってくる、小さい子供の頃の僕は帰ってきたばかりの親父にはなじめず、やっとなじんで楽しくなるとまた漁に出て行く、そんな淋しい思いをした。親父はちょっと変わっていて船のノリをそのまま家に持ってくる人だった、僕は小学生の頃から親父の煙草の火をつけさせられた、火のついた煙草を渡すと「ん、上等!」というのが口癖だった。いつも酒ばっか呑んでいたけど頼もしかった、その親父が変わりはてた姿で悔し涙をながしている、僕はただ呆然としていた。
みちのくフォークジャンボリー9月14日チケット発売中です!022-266-7712まで宜しく!
みちのくフォークジャンボリー9月14日チケット発売中です!022-266-7712まで宜しく!
2008年08月21日
僕の存在価値
文化祭、色んな人が演奏した。NSP,小椋佳、チューリップ、キャロル、ディープパープル、結構ライバルがいたものである。僕は負けじと懸命にギターを弾き唄った、かなりウケた。演奏が終わって僕は「沢山の人の前で唄い、拍手を貰うって最高に気持ちいいもんだな」としみじみ感じていた、思えば僕なんかは頭はよくないし、運動神経だってそれ程いいわけではない、そんな自分がやっと自分を見つけられた気がした。音楽というのは人の心を変えられるものすごいものだなと改めて思った。
みちのくフォークジャンボリー9月14日、チケット発売中です、一枚500円です!ぜひ遊びに来てください
022-266-7712まで!
みちのくフォークジャンボリー9月14日、チケット発売中です、一枚500円です!ぜひ遊びに来てください
022-266-7712まで!
2008年08月19日
力の限り生きてやれ!松山千春2
コンサートが終わった後の誰もいない客席の前に彼は出てきた、そして司会の黒柳徹子や久米宏に愛想笑いせずに、自分の今の気持ちを淡々と言い唄い始めた「季節の中で」だ(この曲は足寄のアマチュア時代にメロディが出来ていて、随分と後になり倉本聡氏のドラマを見て詞ができたものだった)たった一人ギター一本で声を張り上げ、突き刺すようにサビを唄った。その存在感といい歌唱力といい今までに無いものだった、この人は大物になる!僕はそう感じた。千春のうたには人の決意や希望というものが必ずある、それは彼自身言っているように岡林信康の影響がある、力の限り生きていく人生のメッセージなのだ。このメッセージで励まされた多くの人は心に刻まれていると思う・・・・
みちのくフォークジャンボリー9月14日、もうすぐです!ぜひ遊びにきて下さい、チケット発売中!022-266ー7712よろしく!!
みちのくフォークジャンボリー9月14日、もうすぐです!ぜひ遊びにきて下さい、チケット発売中!022-266ー7712よろしく!!
2008年08月18日
力の限り生きてやれ!松山千春
夏休みが終わると文化祭がやってくる、僕は去年の雪辱を晴らすべく賢則君と練習に勤しんだ。かぐや姫と風をやるはずだったが賢則君が「千春をやろう!」と言い出した、間近になっての事なので僕は躊躇していたが、あまりに彼が熱心なので「初恋」と「季節の中で」をやる事にした。その頃オールナイトニッポンなどの影響で千春のファンが増えてきて彼も大ファンになっていた。そんな時、「伊東、今日ザベストテンに千春が出るんだ、見ろよ!」と彼が興奮して教えてくれた。ザ、ベストテン、当時の音楽好きは必ず見ている番組である。彼に言われた通りベストテンを見ていると出てきた、初めてテレビで見る松山千春だ。その登場がかっこよかった!
2008年08月16日
NSPがやってきた!
夏休みが終わろうとしている時、部活の先輩から明日NSPのコンサートにいかないか?と誘いがあった。僕はラッキーと思いすぐに「いきます!」と言い行く事になった。この先輩はNSPのコピーバンドをしていて大ファンだった(この当時NSPのファンがすごく多かった)コンサートが始まってみるとバックバンドが無く三人だけの純NSPだった(それがよかった!)うたは全部知っているのでほんとに涙もんだった、オカリナを初めて生で聴いてすごく感動した(オカリナは当時のディレクター萩原暁氏のアイデアだったちなみに赤い糸の伝説の草笛もそうである)感動のままアンコールになり、天野さんが「じゃ最後はリクエスト!何がいい?」と呼びかけた、すると先輩が何を思ったか「便所虫!」と大声で言った、天野さんが「べ、便所虫?それはねーべ」と言ったら会場がどっと沸いた。最後は「さようなら」だった・・・・あの頃の青春というとNSPを思い出す人はすごく多いと思う、だから天野さんが亡くなって本当に残念です・・・・・ご冥福をお祈りします
昨日の答えはNSPでした、じゃまた。
昨日の答えはNSPでした、じゃまた。
2008年08月15日
17才の詩
高2の夏休み近所の友達の家に何人かでたむろしていた。この頃になると何故か悪ぶる奴も多くなり僕もその中の一人になった。隠れて酒をのんだりタバコを吸ったり、意味もなくバイクを走らせ街をうろついたりしていた。そんな事をしていると他の学校の同じような奴とケンカになったりもした。もっといい夏休みにすればいいのにこのありさまだった。その友達の家でいつも聴いていたフォークバンドのアルバムの中に「17才の詩」といううたがある「勉強しなけりゃいけないと言われ、茶店に入ってはいけないと言われ、タバコを吸ってはいけないと言われ、夜は早く帰れと言われた。授業をさぼり茶店に入りタバコを吸ったら、こんな気持ちのいい事はなかった」まさにこの当時の僕の気持ちにピッタリだった。
ここで問題です、このフォークグループはなんというバンドでしょう? じゃ答えは明日。
ここで問題です、このフォークグループはなんというバンドでしょう? じゃ答えは明日。
2008年08月12日
君と歩いた青春
そんなこんなで僕がさだまさしを唄って彼女の気をひこうとしていると彼女のファンの僕の友達が急に冷たくなり僕から離れていった、それでも僕は「好きだ!」と彼女に告白したが、彼女との仲もギクシャクしてしまった。僕はすごい疎外感に悩まされるようになった。あんなに楽しくやっていたのに、なんでこんな事になったのか・・・・・、こんなことなら好きにならなきゃよかったと・・・。風のうたで「君と歩いた青春」というのがある、「本当はあいつらと約束したんだ、ぬけがけはしないとね、ばちあたりさ僕は、だけどほんとさ、愛していたんだ」「君はなぜ男に生まれてこなかったのか・・・・・」このうたを聴くと思わずグッとくるね・・・・。
じゃまた。
じゃまた。
2008年08月10日
落語家?さだまさし2
宮崎さんはさだまさしに「音楽をやってきたのだから落語みたいな唄を作ってみたらどうだ」というような事を言った、その事がヒントになり独自のうたのスタイルができたのである。「雨やどり」「関白宣言」などはその代表曲だろう。またステージでのトークの面白さも落語で磨かれてきた彼の魅力だ。とまあ、落語としてのさだまさしはこれくらいにして感動するうたも多い、僕はさだまさしのうたにでてくる女性像が大好きだ「フレディもしくは三教街」「セロ弾きのゴーシュ」「主人公」「ひまわり」大好きなひとを亡くしたり別れたりしても一途に心から愛し続ける女性、映画「眉山」も感動してボロボロ涙がこぼれた、それと彼のうたに励まされた、「デイジー」「しあわせについて」「奇跡~大きな愛のように~」「人生の贈り物」は大好きな曲だ。さださんはどうしてこんなに人の心がわかるのだろう、それは多分、すごく人を愛し大切にしてきた人だからなのだと思う。僕はこの歳になって何度も泣くほど感動するのはさださんの唄だけだ、がんばらんば!まっさん!
すみません昨日宮崎康平さんが幸平になっていました訂正です。 じゃまた。
すみません昨日宮崎康平さんが幸平になっていました訂正です。 じゃまた。




